連歌の本質は異質なものを出会わせる装置だというところにあります。連歌を興行する場への付けであり、あいさつの句でもある発句が、自らのうちに切字を要し、それによって一句の中に異質なものの出会いを保証しているのも、その現われでしょう。芭蕉はそれを「ほ(発)句は物を合はすれば出来(しゅったい)せり」(去来抄)と表現しています。
この秋は何でとし寄る雲に鳥
この芭蕉の句は、「雲」と「鳥」を取合せ、そこに芭蕉の思いを取合せたものです。伊賀における蕉門の中心的存在であった服部土芳の『三冊子』によれば、芭蕉は腸を切り刻むようにして「雲と鳥」の句にたどりついたといいいます。「この秋は何でとし寄る」という述懐に、「雲と鳥」という異質の景を出会わせることによって、この句は深い余情と精神性を獲得したのです。
連歌における異質なものの出会いは、端的にイメージを表出する二句(前句と付句)の照応によって保証されるのですが、現代短歌においても、こうした手法がひそかに使われています。たとえば、斎藤茂吉の亡き母への絶唱として名高い歌。
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳根(たらちね )の母は死にたまふなり
客観的な叙景の句である上句に対して、母を亡くして悲嘆慟哭(どうこく)する茂吉の声が、見事な付句になっているのが分かるでしょう。「のど赤き玄鳥」と「母の死」という異質なものの出会いが、ひりひりするような痛みを伴い、そこに伝統的な民族精神を噴出させながら、死の何たるかを突き付けてくるのです。個々の句のみで、こうした情感は得られません。あるいは、寺山修司の次のような歌。
マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
コラージュの手法によって、叙景の上句に下句の思いを付けたかたちになっています。この歌の背景には、宮澤赤黄男(かきお)の俳句「一本のマッチをすれば湖は霧」「めつむれば祖国は蒼き海の上」があると指摘されています。一歩間違えれば剽窃にもなりかねないのですが、宮澤の俳句を二つ並べても寺山の歌の世界にはなりません。連歌的手法の見事な一例と言えるでしょう。