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弓月庵日記
   

高城修三の
弓月庵日記

                                    

弓月庵の竹林(清風処)


「弓月庵(ゆつきあん)」は、「万葉集」に採録された柿本人麿歌集に、
    
あしひきの山川の瀬の響(な)るなへに弓月ヶ岳に雲立ち渡る
と歌う弓月ヶ岳の中腹にある。同じ歌集に、
    
隠国(こもりく)の泊瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ
と詠まれた初瀬山を間近に仰ぐ地である。竹林と樫の森に囲まれ、わずかに開けた東の方には長谷寺の裏山から昇る月が眺められる。
    
隠口(こもりく)の泊瀬の山に照る月は満ち欠けしけり人の常無き
と万葉歌人に歌われた、あの月である。
弓月ヶ岳の中腹に久しく打ち棄てられていた築百年を超える古い民家をたわむれに「弓月庵」と号して、はや十余年になる。「万葉集」に見えている作者未詳歌には、
    
狂語(たはごと)か逆言(およづれこと)か隠口の泊瀬の山に廬せりといふ
とある。まあ、そんなところであろう。時には京・大阪の好士を集め、囲炉裏を囲んで連歌を興行する以外、滅 多に人の訪れも無い。ただ、風の音、鳥や虫の声ばかりである。この「弓月庵日記」は、そうしたつれづれに思い浮かぶあれこれを気ままに書き記してみたい。
(平成十五年五月十九日)

2010年に故あって弓月庵を処分した。以降、この弓月庵日記も中断していたが、あえて同じタイトルで日々思い付いたことを気ままに書いてみたい。(平成二十七年五月五日)

                                                   高城修三



橋本徹大阪市長の副首都論の筋違い(2015年10月2日)

大阪市民の住民投票に僅差で敗れ、政治家引退を表明した橋本徹氏が先日、大阪を副首都にとぶち上げた。都構想の焼き直しだろうが、これは筋違いである。1990年代に東京一極集中が大問題になり、首都機能の移転が話題になった。その後の失われた20年の原因の一つに、東京一極集中を是正できず、その有力な方策だった首都機能移転が闇に葬られたことが挙げられる。大阪を副首都にするというのは、かつて天武天皇が陪都制を主張し、大和飛鳥の外に難波京など複数の副都を置いたことを想わせるが、日本の遷都の歴史を俯瞰するなら、国の形を大きく変えるときに要請されたのは、遷都(平城京遷都・平安京遷都・東京遷都)か首都機能移転(鎌倉幕府・江戸幕府)であった。あの失われた20年に必要だったのは、首都機能の移転で、それも畿央高原(三重・滋賀・京都・奈良の県境の高原地帯)であるべきだった。そうすれば、中京圏と関西圏を統合した新たな経済圏が出現し、東京圏と拮抗した二大経済圏による新たな日本の創世記が可能になるはずである。橋本市長に一考していただきたい。



2017年、中国共産党政権の崩壊(2015年6月14日)

数年前から気になっていることなのだが、独裁国家が国威発揚のためにオリンピックを開催すると、その9年か10年後に国家あるいは政権が崩壊する。その初めはナチスが政権を取っていた1936年に開催されたベルリンオリンピックで、ナチス政権は1945年に崩壊した。次いで1980年にモスクワオリンピックを開催したソ連は1989年のベルリンの壁崩壊などソ連圏の崩壊をへて翌年二月には共産党一党独裁が崩壊した。また、1987年にはじめて大統領の直接選挙を実施した韓国も1988年にソウルオリンピックを開催したが、1997年に金融危機を迎え国家はIMFの管理下に置かれた。韓国は曲がりなりにもオリンピックの前年ころから民主化が進められようとしていたから国家崩壊にまでは至らなかったが、これも一例に加えてよかろう。そこで注目されるのが、2008年に国威発揚の北京オリンピックを開催した共産党独裁国家中国である。2017年あるいは2018年に「中華民族の偉大な夢」を追求する中国がどうなっているか、昨今のかの国を見ているとジンクスが当たっても不思議ではない。


略奪する国民、略奪しない国民(2015年5月5日)

5月5日の産経ニュースは、地震から10日を迎えたカトマンズからの報告として「食糧事情の悪化が懸念されているが、目立った暴動は起きていない。無人の商店街では略奪も見られず、テント暮らしの被災者は比較的穏やかに過ごす。東日本大震災でも略奪などはほとんどなく、海外から称賛された」と伝えている。東日本大震災の時の日本と同じだが、このような大災害に遭って隙あらばと略奪に走る国もあれば、ネパールや日本のような国もある。これは先進国とか後進国とかに関係ない。いわば国民性というものであろう。ネパールや日本は仏教が相当に浸透しているし、中尾佐助氏のいう照葉樹林帯文化圏に属することも与かっていよう。一方、自由と民主主義を掲げた世界のリーダーでもある米国では、つい最近も、警察官の黒人差別的な対応に怒ったデモがたびたび起こっているが、そのおり暴動、焼き討ち、略奪が発生している。その米国と張り合っている世界第二位の経済大国である中国でも先の反日デモで同じような事態が起こっている。法治がどうのという前に、一考すべき問題だろう。

2008年4月19日

19日の読売新聞朝刊によれば、来日中の中国楊外相は、民主党の小沢代表との会談で「人権問題で中国は批判を受けているが、人権問題を起こしているのはダライ・ラマ側だ。中国国民の命や人権を守るため、治安を強化する必要がある」と強調したという。これに対して小沢代表がどう答えたか報道されていないが、骨のある政治家ならば次のように反論すべきであろう。「かつて我が国の軍部は、大陸における反日運動や日本人虐殺などから国民の命と人権を守るするためと称して、中国侵略を進めた。それをあなた方は口を極めて批判するが、チベットに対するあなた方のやり方も同じではないか。あなた方の論法が許されるなら、かつての日本軍部による中国侵攻も許されることになる」と。これだけのことを言う胆力が小沢代表にあるだろうか。

2008年4月18日

産経新聞のコラム「湯浅博の世界読解」は、世界の潮流の背後にあるものを斬新な視点で読み解いてくれるので、興味深く読んでいる。4月16日の「聖火は権力の篝火に堕した」とするコラムでも、チベット動乱がもたらした聖火リレーの混乱の背後に、中国の専制権力である共産党が過激化する愛国主義の奔流に恐怖感を抱いている実情をえぐりだしている。その論考の枕に置かれているコラムの文章に湯浅氏のような博学な知識人でも陥りがちな間違いがあり、それは私の古代史の作業仮説にからむ問題でもあるので、少し触れておきたい。湯浅氏の書き出し部分は以下の通りである。

ご存じ、中国の小説「西遊記」では、孫悟空が?斗雲(きんとうん)に乗ると、ひとっ飛びで10万8000里を行くという。北京五輪の聖火リレーが通る地球一周コースはそれに及ばないが、距離にして計13万7000キロになる。

このどこに間違いがあるかお分かりだろうか。湯浅氏はキントウンがひとっ飛びする距離の「里」を日本の一里=36町(3927m)で計算したために、それを約42万キロと解し、北京五輪の地球一周コースよりも長いと断じられたのである。しかし、中国の現行の「一里」は500メートル、「西遊記」が書かれた明代や三蔵法師が生きた唐代の「一里」なら560メートルであるから、北京五輪の地球一周コースに及ばないのである。

かつて中国大陸と日本は同じ漢字を使っていたために、「里」といえば中国も日本も同じだと思っているが、時代により、所によって、その長さは違っている。魏代の一里は434メートル、漢代の一里は415メートルである。さらにさかのぼれば殷代には100メートルに満たない「里」が使われていたらしい。日本でも律令時代には隋・唐の長さを基準にして一里=五町とする「里」が使われており、その以前には一町=一里とする「里」が使われていたらしいのである。これは高野山など多くの地に道しるべの丁石として今も残っているし、「日本書紀」「新撰姓氏録」「肥前国風土記逸文」などにも記録が残っている。

湯浅氏と同じような間違いをしたのが、「魏志倭人伝」を編纂した陳寿である。陳寿は魏朝の政庁に残されていた倭国(日本)や韓の地に関する史料に見えている「里」を魏の「里」と解釈してしまったために、当時一町里(約96メートル)を使っていた倭国、なかんずく邪馬台国(やまと)への行程距離を誤って1万2千余里としてしまったのである。しかも、そのうちの伊都国〜邪馬台国間については、水行もしくは陸行による行程30日から里数を求めて、50里(魏の里で一日の行程)×30日=1500里とし、それを帯方郡〜伊都国の行程10500余里(これは一町里)に加えたのである。これでは邪馬台国への道が混乱するのも当然であった。

ともあれ、市場経済と社会主義(という独裁体制)を融合させたために指導理念を失った中国共産党が自らの保身のために鼓舞した超過激な愛国主義は、遠くは1899年の義和団による排外的な民族運動につながり、近くは2004年の反日デモにも見られたように東アジアのみならず世界の動乱要因となりつつある。中国の高度成長の行き詰まりと合体すれば、いかなる災厄が日本や世界に降りかかってくるかもしれない。独裁国家がオリンピックを国威発揚に使うと、1936年に最初の聖火リレーを挙行したヒットラーのドイツ帝国は1945年に崩壊し、アフガン侵攻後に1980年のオリンピックを開催したソヴィエト連邦は1989年に崩壊している。いずれもオリンピックの九年後である。

北京五輪から九年後、中国共産党帝国がどうなるか、目が離せない。

2008年4月9日

前日徳島のホテルで、徳島ペンクラブや徳島連句会など文化界の方々や政界・財界の方々から多くの出席をいただいて第二回眉山連歌会を興行した。さまざまな経歴をもった多彩な人たちとの連歌は阿波踊りのノリそのままの楽しいものになったが、それに先立ち発起人の長尾哲見氏の案内により、「徳島ひょっこりひょうたん島」めぐりをした。かつての吉野川河口部を連ねるひょうたん型の水路を舟で巡るもので、同行したきらら連歌会の人たちと満開の桜をめでながら、思いがけない視点から徳島の風景を堪能した。市内を縦横に河川がめぐる徳島の新しい観光スポットになりそうだ。その翌日、ひょうたん島の中にある城山に登った。青石を組んだ城壁と落花盛んな椿の原生林がつづき、それを抜けると頂上の広い平坦部に見事な桜が今を盛りと咲いていたが、どういうわけか人っ子ひとりいない。水曜日の午前の、あの、しんとした華麗な桜の森は最高だった。

   城山にまた訪ねたき桜かな